ふとんの中でひらめいた、“逆転の発想”。
欧米の視察旅行でいくつかのヒントを得た安藤百福は、カップ入りインスタントラーメンの開発に取り組んだ。
苦労しためんの収納方法も“逆転の発想”で解決し、究極の食品と評される「カップヌードル」が誕生した。
「チキンラーメン」の発売から10年が過ぎようとしていた1960年代半ば、国内の袋めん市場は成熟化しつつあった。こうしたなか、安藤百福は1966 (昭和41) 年6月、欧米視察に出かけた。目的は、インスタントラーメンを国際的な商品にするための市場調査である。
「チキンラーメン」を売り込むためにスーパーを訪ねた時のこと、担当のバイヤーが、安藤百福の持参したサンプルを紙コップに入れ、湯をかけて試食した。この光景が安藤百福に衝撃を与え、カップ入りインスタントラーメンの開発を強く意識するようになる。
帰国後、安藤百福はカップ入りインスタントラーメンの開発に取り組んだ。カップの素材を発泡スチロールとし、アメリカから技術導入して容器工場を立ち上げ、カップも製造した。また紙とアルミの二重構造のふたは、その後の海外出張の際に飛行機で出された機内食のマカデミアナッツからヒントを得た。袋めんの2〜3倍の厚みになるめん塊は、油熱処理用の金型を工夫して均一に揚げることを実現した。そしてカップの中央に宙吊り状態にして固定させる「中間保持構造」を採用。これにより、めんはカップの中央で内側に密着してカップの強度を高め、めん折れを防ぐとともに3分間で素早い湯戻しを実現した。
しかし、めん塊を自動化ラインでカップの中央に固定するのは至難の技であった。めんの平らな部分を水平にするのは難しく、機械でつかむとめんの形が崩れてしまう。安藤百福は昼も夜もその解決法に頭を悩ませていた。ある夜、寝床で目を覚ますと、錯覚なのか天井がゆっくりと回転しているように思った。天と地が逆になった感じである。この時にひらめいたのが、めん塊を下に置いてカップを上からかぶせる方法で、まさに、逆転の発想であった。
翌朝、研究所で試してみると、めん塊はカップの中にうまく固定された。こうしてインスタントラーメンに新たな歴史を開く「カップヌードル」の量産化が可能になったのである。