インスタントラーメンの命は“保存性”と“簡便性”、そのヒントは「天ぷら」にあった。
今から50年前、1958 (昭和33) 年に日本で生まれ、世界各地に広がったインスタントラーメン。
発明者の安藤百福は、早朝から深夜まで自宅裏庭の小屋にこもり研究を続け、「天ぷら」の原理を応用して、「チキンラーメン」を世に送り出した。
いつでも、どこでも、手軽に食べられて、家庭に常備できるラーメンをつくりたい—。日清食品の創業者、安藤百福は、まだこの世に存在しないインスタントラーメンの開発を決意した。
1950年代半ば、日本は高度経済成長への道を歩み始めていた。
開発にかかる前、安藤は5つの目標を定めた。「おいしいこと」「保存性があること」「簡単に調理できること」「安価であること」「衛生的で安全であること」。このどれ一つが欠けても商品として成立しない。
確かな目標が決まると、さっそくインスタントラーメンの開発に取りかかった。自宅 (大阪府池田市) の裏庭にこしらえた粗末な小屋を研究所兼作業場にして、朝5時から深夜の1時、2時まで試作を繰り返した。道具といえば、中古の製めん機、めん揚げ用の大きな中華鍋を除いては身近な調理器具があるだけ。いつ終わるとも知れない安藤の作業を、妻や幼い子どもたちが手伝った。
最も苦労したのは、めんの保存を高めるための方法だった。塩蔵、乾燥、燻製など過去の保存法を一つひとつ試しながら、ようやく到達したのが「瞬間油熱乾燥法」である。そのヒントは「天ぷら」にあった。小麦粉の衣が付いた天ぷらを、熱い油の中に入れるといったんは沈むが、水分が抜けると浮き上がってくる。そのとき、衣の表面には小さな穴 (多孔質) ができていた。油熱で乾燥しためんに湯を注ぐと多孔質部分に湯が行き渡り、出来たての状態に復元できるのだ。
この原理の発見によって完成に大きく近づき、開発から1年が過ぎるころ、満足のいくインスタントラーメンができた。スープは、トリガラでとったチキンスープ。のちにインスタントラーメンの代名詞となる「チキンラーメン」の誕生である。